昭和45年06月15日 夜の御理解



 最近、神様のおかげでと、その神様のお働きが何かこう、勿体ないという事が分かっただけでは済まされない。何か、いうならそら恐ろしいまでに、まあいうなら私の心の底の底を見抜いておられるように、おかげを下さる事に色々気付かせて頂いております。衣類とか、または道具とか、まあ私達の好きな茶道具類でも最高から最高と言った様な物が、もう弥が上にこう集まってきております。
 今御神前にやらせて頂いてからお供えを見せて頂いて、甘な辛なは言うに及ばずもう私が今一番喜んで頂きます、ミカンジュースとかトマトジュースとか、ビール類なんかのね、もう今私一番あのう喜ぶ様な物が、もうそれこそ御神前にうず高くお供えがしてあると、神様があれを召し上がって喜ばれるのじゃない。結局私を喜ばして下さろうとして、こんなに沢山集めて下さってるんだとこう思うんですけれどもね。
 本当にあのそれに応えて私共がどれだけ神様が、例えばなら私が喜ぶようにして下さるだけではなくて、私共がどれほど私が神様に喜んで頂くような事が出来ておるだろうかと思う時に、本当に恐ろしいような気さえするほどにおかげを頂いておりますがね。それに応えて私共が、なら何を神様にお供えさして頂いたら喜んで下さるだろうかとこう思うて、まああれこれ色々思うて見るんですけれどもね。
 結局は私達が本当に神様に喜んで頂く事とは、神様に喜んで頂く事とはとこう思い続けること。それも切実に思うこと。今の私が言うておる事、しておる事行うておる事が、はたして神様が喜んでおって下さる事だろうかと、それを思い確かめてみる事。だからもうそれ以外にはないように思う。ただ私は誰よりも強くそれを思っておると思うんです。それで神様、私がいわば好きな物なら好きな物をです。
 いやが上にもああして集めて下さるんじゃなかろうかというふうに、今日はずっとそんなことを思うた。やはりどれが神様が喜んで下さる、これがどうという事ないけれども、どうある事が神様が一番喜んで下さる事かという事をね、思い続ける事、しかもそれを切実に思う事。そんな事ではないでしょうかね、私共が神様に喜んで頂くという事は。
   どうぞ。